常識という名の危険
みなさん常識というものを疑ったことがありますか?
常識というのはそもそも元からあったものではありません。
常識というのは国ぐるみで作っているものなので、中々気づく機会が少ないです。
しかし、皆さんが学校に行っている間に疑問に感じた事はないでしょうか。
実はこうした疑問が常識を疑うチャンスなのです。
なぜ学校というものがあるのだろうか?
なぜ勉強させられるのか?
なぜ義務教育というものがあるのか?
なぜ全国に学校があるかというと、まず優秀で国家に従順な国民を作る事です。
その国民を大量生産しているのが今の学校なのです。
この世の中になぜ貧富の差があるかというとこの国家が作り出している常識というものが原因なのです。
国民が常識に洗脳されて、従順に勉強していい大学に入り、良い会社に入り…
そもそも会社に入るという事は自分の人生をお金に変えるということです。
まずその時点で自由にはなれません。
会社にこき使われその後に捨てられ、自由になれるかもしれませんが、その時その人は歳をとっていて自分の好きなことができないかもしれません。
だから自由になるためには常識を疑う必要があるのです。
お金の稼ぎ方を学校が教えてくれない理由はお金の稼ぎ方を知ってる人が大勢いるとある人物が不利になるからです。
その人物とは経営者の立場にいる人です。
だから学校というのは労働者を生み出す仕組みのひとつに過ぎないということなのです。